和花の呟き(長文注意)

世間話をほとんどリアルでする事のない、アラフィフおひとりさまの心の内や行動を、長ーい文章で綴っています

死に方が分からない

 

タイトルを見て、ドキッとした方が多いのでは。一見、自殺願望のある人の著書か、と思われそうですが、勿論違います。

著者はアラフィフのおひとりさま。なるべく人様に迷惑をかけず、いかにきれいサッパリ死んでいく方法が分からなくて困っていて、そのための準備や心得などを調べたりした事をまとめたものです。

〜「現実の死」を目の当たりにしたアラフィフ独身女が、どうやったらうまく死んでいけるのか分からないことに焦りと恐れを覚えた結果、「よりよき死」を迎えるために始めた「死に方探し」を、同じ不安を抱える皆様とシェアするために始める旅路の記録、なのである〜

(著書から抜粋)

こういう視点って面白いなと思いました。普通、自身の亡くなり方って、なかなか考えませんよね。しかもキレイさっぱりに、なんて。死に方にきれいも汚いもないのかもしれないけど(イメージ的には、大半がきれいではない)、もし孤独死した場合、なるべくきれいな状態で見つかって欲しいな、とは思います。

私も身内や周りは年上ばかりで、もし年功序列で亡くなるとしたら、最後に残る可能性大です。そして、年下の気心知れた友人知人がひとりもいません。親戚も、イトコだと年下はひとりしかいないし、普段から付き合いがあるわけでもありません(冠婚葬祭で顔を合わす程度)。

そうなると、孤独死の可能性はかなり高くなります。困った時に助けてくれる友人知人はいないですし。こういう時、ぼっちだと困りますよね。かと言って、これから新たな人間関係を模索するのも難しそう。介護目当てに結婚相手を探すみたいで嫌だし。

一応姉はいますが、多分2人でお互いを介護し合うではないけど、そんな感じになるのかしら。ただ姉は、私と違って人付き合いがマメだし、友達や顔見知りも多いから、私がいなくても多分大丈夫だという気がしますが。

この著書でも、尊厳死とかリビングウィルなどの、終活関連のワードが出てきますが、どれも結局「人」が関わって来るんですよ。信用できる人って、ある意味お金では買えないので、何よりも大切だと思いますが、コミュ障ボッチには、ハードルかなり高いです。

ぶっちゃけた話、私は、人に余計な手を煩わせる位なら、介護が必要となった時点で、治療を止めて延命処置をしないで欲しいのです。多分その頃には、身内は誰もいなくなってる可能性が大なので、私が世の中に必要、生きていて欲しい、と願う人は皆無だと思うので、もうそれでいいですよ、と声を大にして伝えたいです。

介護までいかなくても、ガンとか大きな病気になって、この先治る見込みが少ない場合は、高齢になっていなくても、余計な治療はしなくていい、本当に。それが本来の自分の寿命だから。

なんで今の日本って、無駄に人を生かすのだろうか。病院に通っていて思うけど、人を煩わすばかりで、体は不自由なのに、口だけが達者な高齢者の患者さんが本当に多いのですよ。そして、初めは元気で口が達者で、ご飯も食べられていた人たちが、だんだん口数が少なくなり、ご飯も食べられなくなっちゃうんですよ。それを目の当たりにすると、本当に考えさせられます。

多分、ほとんどの人がこの先だんだん衰弱するばかりで、回復はしない状態なのに、無駄に生かそうとする。最近は、胃ろうなどで無駄な延命をする人こそ減っているようですが、それでも1本の点滴で命を繋いでいる人は後を絶ちません。

原因は色々あるでしょう。純粋にただ、生きていて欲しいと思っている人。あと、親が亡くなると生活が苦しくなるから、なるべく生きさせたい人。あとは、延命処置を拒否する事で、罪悪感に苛まれてしまう人もいるのでしょうね。

でも、果たしてそこまでして生きる価値があるのでしょうか??入院や施設の入所だけでも、相当なお金が掛かるし、人の手を煩わせるばかりではないですか。いいことなんて、全くないとは言わないけれど、少ないのに。

こんな事を書くと、薄情な女だと思われるかもしれませんが。良心的な人は、その僅かないいことに縋って、少しでも希望を見出したいのでしょう。うちの母を見ていると、そう思います。

でもそんな母でも、もう今の父を自宅で介護するのは難しいでしょう。それは本人も分かっていると思います。勿論、姉と私と3人でも、難しい状況なので。それでも父は、家族が面倒を見てくれるので、幸せだなと思います。母も、この先姉妹2人で何とかしていかないといけません。でも、2人なのでまだいいのかな。しかも我が家は、2人共おひとりさまだしね。

お母様をひとりで介護してきた友人がいます。確か30代後半頃だったかな。元々母子家庭で、ずっと2人で暮らしていて、普段から親思いの素敵な友人でした。それでもかなり過酷だったようで、介護休暇を利用しながら、ずっとひとりで頑張っていました。そんな生活が3年ほど続いたのです。

友人は、お母様が亡くなったとき、寂しさよりも、ホッとした気持ちが大きかったと言ってました。その気持ち、今なら良くわかります。

どんなに可愛がって育てられた親でも、介護は良心だけではとても務まりません。心身とも相当ダメージかあったでしょう。それでも、母のために一生懸命介護してきた友人には、本当に頭が下がります。とても私には真似ができません。

さっき、ガールズちゃんねるを見ていたら、

理想の死に方「ピンピンコロリ」…実は“ほぼ実現”できている? “無病からの急死”ではない本当の定義

というトピが立っていて、まさにピンポイントだなと思った。ピンピンコロリは理想だけど、残された家族にとっては心の準備ができずに亡くなるので、それはそれで結辛い思いもするみたいですね。もし良かったら検索して読んでみて下さい。

ブログでしょっちゅう、こんな話ばかりするけど、ボッチにとってはとても大切で、かつ頭を悩ませる話です。この本を読んで、少しでも参考になるといいな、と思っています(まだ読んでいる途中)。

読破しました。色々勉強になりました。気になった箇所はメモして(本当はコピーしたかったけど、プリンターが壊れているので)、終活用のファイルを作成して、今度時間のある時に(多分GW頃)更に詳しく、細かく調べて、まとめようと思っています。そして、忘備録として、ブログにもUPするつもりです。

それにしても、こうして終活を考える年頃になったのね(しみじみ)。