和花の呟き(長文注意)

世間話をほとんどリアルでする事のない、アラフィフおひとりさまの心の内や行動を、長ーい文章で綴っています

昭和と令和

昭和半ば生まれの私。昭和時代を学生で、平成から現代までを社会人として過ごした世代です。ドラマ「不適切にもほどがある」の純子ちゃんとほぼ同世代なので、あのドラマを見ていると本当に共感出来る事多いです。そして、あの頃は人も今ほどギスギスしていなくて、のんびりしていて良かったな、と思う一方、おひとりさまにとって今ほど生きやすい事はない、とも思ってみたり。昭和は結婚が当たり前で、しかもクリスマス(24〜25)すぎると売れ残りとまで言われて、とても肩身の狭い立場でありました。

①一番大きいのは、何でもダメダメと規制したり、少数でも否定意見があればそちらに足並みそろえないと物事が進まない閉塞的な現代より、昭和の細かい事は気にせずにとりあえずやってみる感からくる、未来への希望は大きな違いかなとおもいます。

②そして四季もなくなったけど、情緒もゆとりも余裕もメリハリもなくなったように感じます。

③今って一回失敗したら、もうコミュニティから外されますけど、昔は失敗しても、あの人はきっと分かる、って、何年も見守ってもらえましたよね。

④多様化などなくてもそれなりに受け入れられ、受け入れられようとする方にも知恵や工夫があった。
⑤個性尊重にすり替わったワガママがなく、みんなが少しずつ誰かに合わせようとする思いやりとゆとりがあった。

⑥今の日本ってギスギスしていて、謙虚で控えめだったり優しすぎたりするとこちらがやられる…
いやな世の中になったなと思います。

(以上、大手小町から一部抜粋)

 

そう、今って一見何の不自由もなさそうだけど、何か窮屈って言うか、融通が効かないと言うか、そんな感じですよね。

多分それは、ネットで誰もが好き勝手に言えるようになったから。言ったもの勝ちではないけど、言えば言うほど窮屈になってしまう、今の世の中。

でも、ネットは自ら規制することも出来るわけで、嫌なら繋がらなければいいのです。と言っても、なかなかそんな訳にはいきませんよね。

アラフィフおひとりさまの私は、本当にごく限られた人としかネットのやり取りをしていません。LINEは人とは繋いでないし(ガソリンとマッサージ店のみ)、未だにメールでやり取りしています。と言うかそんなに返信来ないですし。

やり取りが面倒臭いのもあるし、四六時中人と繫がるのって、監視されているみたいで落ち着きません。メール全盛の頃でも、一部のメル友がすぐに返事を催促して来て(平日の勤務中でも)ウザいと思ってたからね。LINEなんて尚更です。類友ではないけど、周りもラインしてない又は苦手な人多いし、今の所は不便はありません。何せ未だに文通でやり取りしてますからね。

昭和のほうが濃密な人間関係で、おひとりさまでいることは恥みたいな文化だったので、そう言う意味では今の方が断然生きやすいです。でも、対面のやり取りも時には必要だし、若い時にスマホがなくて良かったとは思います。コミュ障な私でも、曲がりなりにも友達いましたからね。きっと今だったら、友達出来なかったかも。

あと今って不登校でも許されている風潮あるじゃないですか。それも羨ましいです。私の頃は、何が何でも学校に行きなさいと言う時代でした。だからいじめられていた頃は学校が針の筵でしたね。

それに部活の時は水分摂取禁止でした。今ほど暑くないとは言え、真夏の体育館はかなり蒸し暑く、貧血で倒れる人がチラホラいました。今だったら間違いなく問題ですよね。部活もシゴキとか当たり前で、当時は辛かったけど、今思えばあれがあったから良かったのかも。少なくとも忍耐強くはなったと思います。

今って情報量とか、スマホのような機器は進化し続けているけど、人間そのものは退化していて、そのギャップが年々広がっているのかな、という気がします。政治家さんや古い企業の偉いさんたちって、未だに頭の中が昭和のままで、アップロードされていないじゃないですか。世の中の進化についていけず、曖昧に誤魔化そうとしている。だから世の中がおかしいことになっているのです。

一般人も、いわゆる肉体労働には就かず、パソコンで完結する仕事にばかり就くようになり、インフラや物流、運輸関連がうまく回らないようになっている。楽して得することばかり覚えて、苦労して物事を成し遂げる人が減ってきているのかな。

トラックやバスの運転手は減っているのに、物流量やインバウンドの観光客は増えていて、とても追いついていない、今の現状。なのに勤務時間ばかり減らそうとしているから、現場の疲弊感が半端ない。まずは物量を減らしたり、配達に余裕をもたせるなどしないといけないのに。

あと、今は多様性、例えば性別で差別してはいけない、と言われるようになりましたが、それでも性別による差別はなくならないし、と言うか区別しないといけない面も多く、なかなかうまくいかないのでしょうね。

例えば家事や育児は男女共にできるけど、妊娠や授乳は女性でないと出来ない訳で。だからどうしても女性の負担が大きくなる。それでも男女平等って言われるんですよね。その結果が男性にも育児休暇、なのですが、これが余計に女性の負担になっていると言うのですから。

確かに男性が家事や育児を担ってくれるのなら有り難いのですが、ほんの少し手助けするだけで、旦那の分の余計な家事負担(食事の世話とか)が増えて、結局何のメリットにもなってないと言います。

だから、ある程度の男女の区別は必要だと思います。この前別ブログに書いたけど、コンテナ運搬のタイミーに女性が応募してきて、使い物にならなかった件とかありますからね。求人も年齢性別の差別はいけないと言われているけど、結局選考時点でしているのですから、年齢は無理でもせめて、性別は区分して欲しいですね。

例えばバスやトラックドライバーとか重機の運転とか、本来男性の仕事分野に女性の進出が増えていますが、それは彼女たちがちゃんと戦力になっているのなら構わないのです。現にそういう逞しい女性が少なくないですし。それでも、男性向きなのは明らかで、力仕事なんかでは適わない部分もあると思うのですよ。ただ、細やかな気配りとか、男性にはない長所もあるので、それを生かせる環境がもっと増えるといいなと思います。現実はかなり大変でしょうけどね。あと、男性の看護師や保育士にも同じことが言えると思います。看護や介護は意外と体力が必要ですし、子供の世話には甚大なパワーが要ります。そういう時は、男性の方が向いているのかな、と思いますし。

あと、教師とか医師に対して、尊敬の念を抱かなくなってきてますよね。私の子供の頃は、お医者さんや学校の先生ってまだ威厳がありましたし、逆らう人は少なかったように思います。でも今ってどちらも立場が弱いです。医師はすぐに訴えられるし、教師も親や子供に舐められて、ウツを発症する人が増えているようですし。

クレーマーは昭和も令和も変わらずにいますが、質が変わってきているなという気はします。昭和のクレーマーは、陰気で粘着質なイメージで、特殊な感じでした。今は特殊さはなく、誰でも当たり前のように権利を主張する感じですね。だから理不尽なクレームが増えた気がするのです。

そして一番変わったのが、鬱になったり、いわゆる繊細で敏感になった人が物凄く増えたな、と。最近のニュースで、カンニング咎められただけで自◯した報道がありましたが、どんだけ繊細なんだ、と。

さっき、部活のシゴキで忍耐強くなったと書いたけど、今の子たちって、良くも悪くも他人から叱られたりする経験がなく、打たれ弱いんですよね。部活も今は、ちょっとした事が問題になるので、厳しく出来なくなったようですし。でも、ある程度厳しく接する事は、この先生きていくために必要だと思うのです。度を超えたシゴキはもちろん駄目ですが、あれもダメこれもダメと何もかも抑制した結果、精神的に弱っちい子どもたちが増殖しているんですよね。

せめて親だったり祖父母だったり身内が、躾けたり厳しく接する事が出来ればいいのだけど、親は余裕がないし、祖父母は孫に嫌われたくない余り甘やかしてしまって、その結果忍耐力のないワガママな子がやはり増殖しています。休日のスーパーやショッピングモールなど、本当に多い。

もし今の日本で戦争が起こったとしたら、一体何人の人が戦力になるのか。精神面が脆く、自分と周りのことしか興味がなく、更に体力もない若者ばかりで、多分役に立たない人が大半だと思います。それは親世代も同じで、自衛隊や警察消防関連の仕事をしている人、更に学生時代に体育会系の部活で鍛えられた人以外は、ほとんど戦力にならないでしょう。

無駄な知識ばかり詰め込んで、理論や精神論は語れるけど、いざとなったら怖気ついて行動できない、そんな人で溢れているのが今の日本です。戦争、そんなの他人事じゃんって感じでしょうか。

それでも、まだ一部では何とかしなくてはと言う使命を持った人たちもいます。さっき書いた、自衛隊や警察消防関連の仕事をしている人、病院関係者、パイロットなど、人の命に直結した仕事をしている人が多くいます。あと、介護関連の仕事をしている人もそうですよね。

しかし、今の若者で、そのような仕事を希望している人は少なくなっているようです。医師ですら、訴訟の心配のない科には希望が殺到しているけど、外科や産科は少ないみたいですし。せめて、それらの仕事を希望する人が失望しないように、大切に育てて欲しいですね。彼らこそが将来の宝だと思うので。

私が実際に昭和が良かったと思うのは、新しく社会人になった時、育成システムが機能していたのです。きちんと一人前になるために、みっちり指導してもらったのですよね。確かに厳しかったし理不尽な思いもしたけど(何度陰で泣いたことか)、2〜3年経った時、あの頃があったから何とかなったと思いました。当時は時間をかけて厳しく育成された気がします(昭和後半から平成初期にかけて)。だから高卒でもそれなりに戦力になったし、周りもそんな感じでしたね。

今は企業に余裕がなく、育成システムがあるのはごく一部。しかも新卒の新入社員に対しても、一通りサラッと教えた後は、後は自分でやってと放置されるようです。新入社員だとまだ、分からない事があったら先輩方が親切に教えてくれる事もあるようですが、これが中途入社だと、それこそ説明が1日だけであとは放置、となります。それでもまだマシな方で、酷い時は、初日から普通に働く事を強要されたりします。当然右も左も分からない状況で、何をすればいいのか分からないのに。それで失敗したりしたら叱責される。そんなの、失敗して当然ですよね。

私はこれまで両手で足りない位の転職をしましたが、本当にほぼこんな感じでした。そんな感じなので当然脱落者も多く、どこも人の出入りが激しかったですね。それか、指導者が半端なく厳しく、ついていけなかったりとか、求めるものが大き過ぎるとか。育成を怠る会社ほど、何故かそういう傾向がありましたね。

今働いている会社は、本当に珍しく、入社時から1から親切丁寧に教えてくれました。たまたま入社時が、閑散期だった影響もあるのかもしれませんが、お陰でかなり助かりました。普通、パソコンの操作で覚えるのに1ヶ月余り掛かるなんて、あり得ない話なのに、社員さんには本当に感謝しています。

そうなんですよ、昭和だろうが令和だろうが、結局人次第なのです。人によって恵まれた人生を送るか、苦労ばかりの人生を送るか、自分の意志ではない所で決まってくる。今で言う「ガチャ」ですよね。そればかりとも言えないけど、周りの人に恵まれた人ほど、充実した人生を送っている気がします。

そしてそれは、きちんと対面で人と接する人ほど大きいと思います。少なくとも私の周りではそうですね。私はそれがうまく出来ないので、人には恵まれていません。まぁ自業自得ですけどね。人と触れ合う喜びよりも、面倒臭さの方が大きいですから。多分人と接するのが面倒くさくない、もしくは面倒臭さよりも人と触れ合う喜びが大きい人は、充実した人生を過ごしているような気がします。

令和の世は、対面でなくても人と触れ合う事が出来ます。楽な反面、人付き合いに物足りなさや不安を感じると思うのです。意外にも、今の若い人たちは思いの外、人との触れ合いを欲しているような気がして、少しホッとしています。

それはライブや舞台でもそう。ネット配信も悪くないし、とても有り難いけど(コロナ禍で良かったことの1つ)、やはり生の臨場感や感動には及びません。

あと、これは今年の元旦に地震に遭って分かったのですが、災害に遭って、人の温かさや人との直接の触れ合いって大切だなと。困った時、役に立つのはネットの情報や見せかけの善意ではなく、直接手を差し伸べたり、言葉をかけたりする事だな、と。

そう言う意味では、それがごく当たり前に出来ていた昭和は、良かったのかもしれません。今もそのような方々は多いと思いますが、その一方で、心無い無関係な方々が、誹謗中傷の言葉を吐いたりする事も後を絶ちませんからね。

物理的には令和の方が断然過ごしやすいけど、人付き合いや仕事なんかは昭和の方がしやすかったのかもしれません。あの牧歌的なほのぼのとした子供時代は、今思うと不便な事が多い反面、生きやすかった気がします。うつなんかも圧倒的に少なかったし、将来に夢や希望も持てましたからね。

それでも私たちは、令和の世を生きていかなくてはなりません。すでについていけなくなりつつありますが、うまく取捨選択して、いい所は取り入れて、そうでない所は切り捨てて、少しでも足手まといにならないようにしなくてはいけませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死に方が分からない

 

タイトルを見て、ドキッとした方が多いのでは。一見、自殺願望のある人の著書か、と思われそうですが、勿論違います。

著者はアラフィフのおひとりさま。なるべく人様に迷惑をかけず、いかにきれいサッパリ死んでいく方法が分からなくて困っていて、そのための準備や心得などを調べたりした事をまとめたものです。

〜「現実の死」を目の当たりにしたアラフィフ独身女が、どうやったらうまく死んでいけるのか分からないことに焦りと恐れを覚えた結果、「よりよき死」を迎えるために始めた「死に方探し」を、同じ不安を抱える皆様とシェアするために始める旅路の記録、なのである〜

(著書から抜粋)

こういう視点って面白いなと思いました。普通、自身の亡くなり方って、なかなか考えませんよね。しかもキレイさっぱりに、なんて。死に方にきれいも汚いもないのかもしれないけど(イメージ的には、大半がきれいではない)、もし孤独死した場合、なるべくきれいな状態で見つかって欲しいな、とは思います。

私も身内や周りは年上ばかりで、もし年功序列で亡くなるとしたら、最後に残る可能性大です。そして、年下の気心知れた友人知人がひとりもいません。親戚も、イトコだと年下はひとりしかいないし、普段から付き合いがあるわけでもありません(冠婚葬祭で顔を合わす程度)。

そうなると、孤独死の可能性はかなり高くなります。困った時に助けてくれる友人知人はいないですし。こういう時、ぼっちだと困りますよね。かと言って、これから新たな人間関係を模索するのも難しそう。介護目当てに結婚相手を探すみたいで嫌だし。

一応姉はいますが、多分2人でお互いを介護し合うではないけど、そんな感じになるのかしら。ただ姉は、私と違って人付き合いがマメだし、友達や顔見知りも多いから、私がいなくても多分大丈夫だという気がしますが。

この著書でも、尊厳死とかリビングウィルなどの、終活関連のワードが出てきますが、どれも結局「人」が関わって来るんですよ。信用できる人って、ある意味お金では買えないので、何よりも大切だと思いますが、コミュ障ボッチには、ハードルかなり高いです。

ぶっちゃけた話、私は、人に余計な手を煩わせる位なら、介護が必要となった時点で、治療を止めて延命処置をしないで欲しいのです。多分その頃には、身内は誰もいなくなってる可能性が大なので、私が世の中に必要、生きていて欲しい、と願う人は皆無だと思うので、もうそれでいいですよ、と声を大にして伝えたいです。

介護までいかなくても、ガンとか大きな病気になって、この先治る見込みが少ない場合は、高齢になっていなくても、余計な治療はしなくていい、本当に。それが本来の自分の寿命だから。

なんで今の日本って、無駄に人を生かすのだろうか。病院に通っていて思うけど、人を煩わすばかりで、体は不自由なのに、口だけが達者な高齢者の患者さんが本当に多いのですよ。そして、初めは元気で口が達者で、ご飯も食べられていた人たちが、だんだん口数が少なくなり、ご飯も食べられなくなっちゃうんですよ。それを目の当たりにすると、本当に考えさせられます。

多分、ほとんどの人がこの先だんだん衰弱するばかりで、回復はしない状態なのに、無駄に生かそうとする。最近は、胃ろうなどで無駄な延命をする人こそ減っているようですが、それでも1本の点滴で命を繋いでいる人は後を絶ちません。

原因は色々あるでしょう。純粋にただ、生きていて欲しいと思っている人。あと、親が亡くなると生活が苦しくなるから、なるべく生きさせたい人。あとは、延命処置を拒否する事で、罪悪感に苛まれてしまう人もいるのでしょうね。

でも、果たしてそこまでして生きる価値があるのでしょうか??入院や施設の入所だけでも、相当なお金が掛かるし、人の手を煩わせるばかりではないですか。いいことなんて、全くないとは言わないけれど、少ないのに。

こんな事を書くと、薄情な女だと思われるかもしれませんが。良心的な人は、その僅かないいことに縋って、少しでも希望を見出したいのでしょう。うちの母を見ていると、そう思います。

でもそんな母でも、もう今の父を自宅で介護するのは難しいでしょう。それは本人も分かっていると思います。勿論、姉と私と3人でも、難しい状況なので。それでも父は、家族が面倒を見てくれるので、幸せだなと思います。母も、この先姉妹2人で何とかしていかないといけません。でも、2人なのでまだいいのかな。しかも我が家は、2人共おひとりさまだしね。

お母様をひとりで介護してきた友人がいます。確か30代後半頃だったかな。元々母子家庭で、ずっと2人で暮らしていて、普段から親思いの素敵な友人でした。それでもかなり過酷だったようで、介護休暇を利用しながら、ずっとひとりで頑張っていました。そんな生活が3年ほど続いたのです。

友人は、お母様が亡くなったとき、寂しさよりも、ホッとした気持ちが大きかったと言ってました。その気持ち、今なら良くわかります。

どんなに可愛がって育てられた親でも、介護は良心だけではとても務まりません。心身とも相当ダメージかあったでしょう。それでも、母のために一生懸命介護してきた友人には、本当に頭が下がります。とても私には真似ができません。

さっき、ガールズちゃんねるを見ていたら、

理想の死に方「ピンピンコロリ」…実は“ほぼ実現”できている? “無病からの急死”ではない本当の定義

というトピが立っていて、まさにピンポイントだなと思った。ピンピンコロリは理想だけど、残された家族にとっては心の準備ができずに亡くなるので、それはそれで結辛い思いもするみたいですね。もし良かったら検索して読んでみて下さい。

ブログでしょっちゅう、こんな話ばかりするけど、ボッチにとってはとても大切で、かつ頭を悩ませる話です。この本を読んで、少しでも参考になるといいな、と思っています(まだ読んでいる途中)。

読破しました。色々勉強になりました。気になった箇所はメモして(本当はコピーしたかったけど、プリンターが壊れているので)、終活用のファイルを作成して、今度時間のある時に(多分GW頃)更に詳しく、細かく調べて、まとめようと思っています。そして、忘備録として、ブログにもUPするつもりです。

それにしても、こうして終活を考える年頃になったのね(しみじみ)。

 

 

 

 

介護のこと

日頃、アラフィフおひとりさまの方のブログを定期的に見ていますが、そんな中、ちょうど今の父の状況に似た親御さんを介護された方のブログを見つけました。

本当の自分はどうしたい? ~心の声に耳を澄まして~

というブログです。

この方のお父様は、残念ながらお亡くなりになってしまいましたが、それまでの経緯とかが本当に似ていて、思わず介護カテゴリーを厳選して見てしまいました(お陰で寝たのが深夜0時過ぎになってしまった)。

このブログの主さんは、立場的には私の姉に似ています。だから、姉の立場が本当に嫌になるほど分かって、ちょっと反省しました。ただ、姉は大変だと思うけど、私に対して不満を言ったことはないですね。我が家は、母と姉が世話焼きで、基本的に何でも人に任せるより、自分でお世話をしたいタイプ(悪く言えばお節介)。なので私が「何かしようか?」と言っても、大丈夫だと言われるのです。で、それに甘えてしまう(典型的な末っ子気質)。

介護のことで、兄弟姉妹でかなり揉めるようですが、そういう意味では、恵まれているなと思います。その一方で、もし姉に何かあったら、今の私では何も出来ないポンコツ状態だから、それはそれで問題だと思うけど。

でも、姉の愚痴とか話を聞くことは心掛けています。今の状態を共有できるのは家族だけですしね。そしてそれに対して、求められた時以外は、何も口出しせずに、ただ聞く事に徹しています。今の所は、それで何とかなっています。というか分からないので、任せるしかないのですけど。なので本当に感謝しています。

あと母も、今は父の世話をすることで、心を落ち着けている様子です。入院したばかりの時はかなり取り乱したりもしたけど、今はある程度、腹を据えて介護しているのかな、と。こちらも愚痴とかを聞くようにしています。そうすることで、母も安心するようですし。

家で介護している時よりも、少し自分の時間が出来たようで、家では気ままに過ごしているみたいですね。そこは良かったかな、と。家で介護している時は、トイレやお風呂の介助が大変そうだったから。こちらもよくやってたな、と思っています。

本当に介護って、経験しないと分からないことだらけです。なるべくならしないに越したことはないけど、避けては通れませんよね。ピンピンコロリで亡くなる人は少数派だろうし。

今は父だけど、いつかは母の介護も始まると思います。両親揃って長生きって、めでたいし、素晴らしい事ですが、その分介護がついて回りますから、複雑ではあります。ただ、2人共苦しんだりせずに余生を過ごしで欲しいです。

 

老後生活(資金)シミュレーション

ずっとやりたかった、老後に向けての生活するため必要な金額のシミュレーション。この年末年始に1度きちんとざっくり確認したかったので、色々計算してみました。

一応、85歳まで生きる事を前提としたもので、65歳から85歳までの20年間で試算してみました。これらは、一応仮と言うことにして、この先あらゆる事態が変わると思うので、今年から年末ごとに見直そうと思っています。

年金は、定期便を参考にしたものです。こちらも、変更があるかもしれませんが、今の所、ギリギリ10万の支給が見込まれます。ここは超えるか微妙だなと思っていたのですが、とりあえず良かった。転職が多いけど、転職先を探す時、社保完備にこだわった事が大きいですね。国民年金期間が少しあるけど、それを含め未払い期間も今の所ないので、最終的に10万前後になるでしょうか。

老後の生活費の平均は、大体15万前後だそうです。私もざっくりと計算した所、少し余裕を持たせて15万ほどになりました。あと、姉がいるので、光熱費、食費、日用品などの生活費は折半に出来るので、うまく行けば13〜14万で収まりそうかも。でもカツカツな生活はしたくないので、15万と言うことにしておこう。

お金が掛かるのは、やはり車関連ですね。けど、何をするにしても車は欠かせませんし、1番必要性があるものです。ただこれも、働くのを辞めたら、姉と共用でも問題ないかな、と(2人で相談済)。なので、購入するのはあと1回半として最低300万はかかります。あとは、税金や保険(年払い)、ガソリン代(月2回)で月に2万程必要になります。

他は医療費が気になります。多分この先、掛かってくると思われます。これは今の所まだ良く分からないので、様子を見ていきたいです。

年金から生活費を引いたら、45000円ほど不足になりました。で、不足分✕12ヶ月✕20年で、1000万と少しに。それに先程の車代、葬儀代や死後の処理費、予備費を含めると、大体2000万位となりました。奇しくも、政府で推奨された金額と同様になりました。

但しこれは、85歳まで元気で過ごせた場合のシミュレーションで、最低限の金額になります。これに、介護など色んな事が予想外に加わり、更に物価高等も考えられるので、更にあったほうがいいのは言うまでもありません。

ただ、この先元気で自力で生活していくのに、どのくらい掛かるのかを、大体でいいので知りたかったので、計算して良かったかもしれません。

ちなみに貯金は、まだまだ足りないけど、半分はクリアしています。でもとてもじゃないけど2000万は無理だわー。やっと50代になって少しずつ貯金が出来るようになり、あとコロナで自粛していた期間に、あまりお金を使わなかった(使えなかった)事もあり、この2〜3年は予想よりも多めに貯まりましたが、それでもまだ、目標には遠く及びません。そこをどうするのかは、これからの課題でもあります。

それでも、年に2回は旅行しているし、年に数回は舞台やライブを行ったり出来ています。これも私にとっては欠かせないものですが、さすがに年金生活になったら、少し控えるつもりです。10年経ったら、興味の対象も変わっているかもしれないし。

そして、働いている間に、全47都道府県を制覇するのが目標です。お金のこともあるけど、最近体力のなさを痛感していて、体の元気なうちに行ったほうがいいのかも、と思うようになってきました。未踏の地はあと10県。1年に1度のペースで、と考えたら不可能ではないのですが、行くのが不便な所ばかりなんですよね。来年、そのうちの1県に行く予定で、すでに宿を押さえてあります。

思えば、今現在の支出も、15万位なんですよね。

内訳は、

家関連費(家賃) 3万

スマホ代 5千

車関連 1万

洋服服飾費 1万

保険料、税金等 2万

生活費(食費、日用品等) 2万

小遣い 2万(余った分は予備費に)

貯金 3万(うち1万は娯楽用)

予備費 5千

です。

なので、今の生活をそんなに大きく変えずに、少し切り詰めて行けばいいのかな。

1番お金がなかった時は、貯金や旅行もろくに出来なかったから、それに比べれば、まだマシなのかな、と思いますね。あと、ボロいとは言え、持ち家のあるのは大きいと思います。親がいなくなったら、大幅にリフォームする予定ですが、建て直しより費用は抑えられるのでは。その費用は、親が私たち名義で貯めている貯金で何とかする予定です(その金額も一応把握しているけど、今の所老後資金には含めていない)。

私の場合、後にお金を残す存在がいないので、死後処理費や葬儀代以外は、残さないつもりです。そのあたりも、どのくらい掛かるのか分からないけど、私の場合は、第三者に依頼する可能性が高いので、高めに見積もっておきました。あとは身近な誰かに頼めればいいのですが、コミュ症で人付き合いのよろしくない私にとっては、かなりハードル高いですから。

両親は多分、自分たちの老後の費用をそれなりに準備しているっぽいので、そういう意味では助かっています。ただ、これもどう転がるか分からないですが。

本当に欲のない親で、食以外ではあまりお金を掛けなかったもんなー。だからといって、お金で惨めな思いをしたことは決してないですし。子供にしたら有り難いです。

私達にお金を遺す、と言うよりも、自分たちのために使って欲しい。介護は結構、オムツ代など細々した所でお金が掛かるし(本当に馬鹿にならない)、自分たちが稼いだのだから。両親の介護費用がどのくらい掛かるのかも、1つの目安になるかもしれません。

自分の介護には、なるべくお金をかけたくないです。と言うか、要介護になったら、枯れ葉のようにそのまま朽ちたい。と言うか、介護してくれる人がいないので、野垂れ死ぬ可能性大です。施設には、多分入れないと思います。

なのでなるべく自力で歩けるように、トイレやお風呂にひとりで入れるように、日頃から体を鍛えておかないと。これは父の介護で学んだ事ですね。

この先10年の間に、どのくらい貯められるか、ですね。そして、自分自身がどこまでどんな形で働けるか。一応、60歳までは今の仕事で働けるといいなと思っていますが、それも分かりません。60歳からは、少し時間を短縮させて働きたい(社保ギリギリの範囲内で)。ただ、そのような仕事があるかは分かりませんが。そして、余程金銭的に困窮していない限り、65歳で働くのを止める予定です。私の働いている業種では、高齢で働くのはとても無理だから。

年金生活に゙突入したら、洋服や化粧品は最低限にして、白髪染めも止めます。ただ、かなりの乾燥・膨張毛なので、ヘアケア製品だけは現状維持したい。

趣味も、あんまりお金のかからないものにシフトしつつ、楽しんでいきたいです。今考えているのが、ガーデニングや野菜の栽培。と言っても、そんなに凝ったものではなく、親が育てたものをそのまま引き継いだり、少し好みのものに変えたりしたいかな、と。

今年の春から、仕事のある日は毎朝ラジオ体操を習慣にしています。元々前の会社で、始業前にしていて、かなり体がほぐれたので、今も継続しています。NHKの朝のラジオ体操を録画して、その中からピックアップしたものをローテーションで10分程行っています。効果は分かりませんが、これからも頑張って続けていきたいです。こちらはほぼタダでできますからね。

年金生活に入ったからと言っても、あんまりケチケチせずに、ただ贅沢は控えて、質素に慎ましく暮らせたらな、と思っています。そのためには、これから10年間の生活が肝心になってくると思うので、今年から毎年、年末年始に金額や生活の見直しなどをしていきたいと思っています。

まぁ、生きていくにはお金が掛かる、ということですね。昔、「世の中銭やぁ〜」と言ってた人がいたけど、本当にそうだわ。ただ、あまりケチケチせずに、今やれる事をコツコツとやるしかないですね。お金に嫌われないように大事にして、うまくやりくりしていきたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猿之助さん、そして歌舞伎の事

昨日、市川猿之助さんの裁判が行われました。執行猶予3年、と言う判決が出たようです。

正直言って、未だにスッキリしない事件ではあります。そして、1番残念だったのは、当時舞台を公演中だったにも関わらず、事件に至ってしまった事。衝動的だったとは言え、役者が1番やってはいけない事を犯してしまったのです。

裁判では、事実を認め、事件に至った経緯などをきちんと話した印象でしたが、それでも世間の目はかなり厳しいようですね。まぁ無理もありません。

御本人は、許されるなら歌舞伎の世界に戻りたいと仰ってますが、仮に戻れたとしても、茨の道が待っているのは覚悟しないといけません。

多くの人が仰ってますが、歌舞伎の世界は、割と事件をなあなあにして、シレッと復帰させているイメージがあるようです。まぁ、そのような側面があるのは否定しません。

ただ、猿之助さんの場合、そんなに大きな一門の出ではないのと、後ろ盾であるお父様、伯父様を相次いで失っています。だからすぐの復帰は難しいのでは、と思っています。少なくとも、菊五郎さんや白鸚さんら大御所がご健在のうちは難しいのではないのかな。

でも、何もしないでただ生きるのも、御本人のために良くないと思うのです。多分相当心を痛めている筈です。なので、しばらくは歌舞伎とは関係のないボランティア等で、世の中の役に立つことを行い、その後歌舞伎の裏方などで再起を図るのも悪くないでしょう。

私は少なくとも、刑期の明ける3年間は表舞台に立つべきではないと思っています。御本人には辛いかもしれないけど、それだけの事を起こしていますから。3年経った時に、ちゃんと更生している(反省している)様子ならば、裏方からスタートして、歌舞伎の世界に携わっていくのがいいのかな、と。

幸い、演出の才能がありますし、彼に才能を見出されて羽ばたいている役者が多くいます。その道でやっていくのもありなのかもしれません。

ただ、「舞台に立つ」猿之助さんを待っている人もすくなくありません。出来れば立たせてあげたい気持ちはありますが、それはまだ先の話。それに関しては、歌舞伎界や松竹の動向次第ですが、さすがにすぐにはないと思います。

今、歌舞伎の動員数が減っているようです。コロナ禍明けで、ほぼ規制がなくなっても、以前のように客足が戻らない、との事。特に歌舞伎座が顕著らしいですね。

猿之助さんだけではなく、坂東玉三郎さんも歌舞伎座から身を引く発言をしました(でも12月に天守物語に出るようですが)。このお二人は、これまで観客を集められた功労者と言っても過言ではありません。だからかなり痛手だと思われます。

今月の歌舞伎座の座組も苦労されているな、と言うのが良く分かります。寺島しのぶさんを座組に入れたり、本来は脇の役者である坂東彌十郎さんを主演に置いたりと、苦労しているのが目に見えます。

つまり、今の歌舞伎界には、観客を集められる役者がいない、と言う事。本当はもう1人いらっしゃいますが、松竹との折り合いが良くないようで、最近は自主公演に力を入れているっぽいですし。

松本幸四郎さんあたりだとまだいいのかな、と思っていますが、猿之助さんの事件の後、あまり舞台で拝見する機会が少ないのが気になります。あと、菊之助さんとかになるのか。

個人的には中村屋ファンなので、兄弟にもっと歌舞伎座に出てほしいな、と思っていますが、こちらも自主公演が多いですし。自主公演もいいけど、たまには他の役者さんたちとコラボした舞台を見たいです。

コロナ前までは、中村屋菊之助さんや幸四郎さんらとのコラボ公演があったのですが、最近はほとんどないですからね。これは中村屋だけではなく、他の役者さんたちもそうで、一門とか決まった顔触れでの公演が多くなった印象があります。

そんな中、平成生まれの若者たちの頑張りが唯一の救いです。本当に皆良く頑張っています。コロナ禍の中、限られた機会にそれぞれ切磋琢磨し合い、大きく成長しています。彼らが主になるのはまだまだ先のことですが、この先希望を持てるのはいい事だと思います。

そして、その世代の多くを大きくしたのが、猿之助さんなのです。あの事件後、中村隼人くんが「いつでも待っています」と仰ってましたが、彼だけではなく、猿之助さんによって成長した若い役者さんたち全てが、そう思っている筈です。下手をすると、舞台を途中で投げ出した猿之助さんを非難しかねない事態になってもおかしくないのに、そうならないのは、伸び悩んでいたり、出番に恵まれなかった時に、猿之助さんから声を掛けられて、今に繋がったご恩があるから、だと思います。

そういうのを知っているから、歌舞伎の世界から排除させるのは、さすがに酷だと思うのです。だから、影で若手たちを支えたりとか、励ましたりと言う役割などを与えてもいいのかと。

これからの事は、良く分かりません。でも、ほんの少しでも、猿之助さんにとって希望が見出だせる結果になって欲しいし、それまでは、真摯に反省して、罪を償って欲しいです。そしてそれまではそっとさせておいてあげて。

幸い、香川照之さん(市川中車さん)が身の回りのお世話とか、結構親身になっているようなので、その辺は安心しています。香川さんも、歌舞伎の事だけでも大変なのに。澤瀉屋の面々も、変わらず活躍されていますし、何とか一門で心を1つにして乗り越えて欲しいです。

 

 

 

 

山積みの本の幸せ📚

私は本を読むのが好きです。これまでも、ブログでちょこちょこ感想らしきものを書いてきたりしたし、枕元には常に本がないと落ち着きません。

本はほぼ図書館で借りてます。2つの図書館を掛け持ちしていて、それぞれで借りているのですが、今、たまたま予約本が重なって、何と8冊積んであります。しかし、予約本のほとんどは次の予約が入っているので、2週間で返さないといけません。全部は無理だと思うのですが、果たして何冊読めるのでしょうか?この3連休は読書三昧だぁ。

読むジャンルは決まってませんが、気軽に読める作品が好きです。9割方女性作家さんの本です。小説より、エッセイの方が多いかな。当たり外れはもちろんありますが、余程のことがない限り、最後まで読むようにしています。たまにブログ等でおすすめされている本を読むこともありますし、本屋大賞で受賞された本を読むこともあります(直木賞芥川賞はない。ただ、読んだ作品が後に受賞した事はあります。最近だと、木挽町のあだ討ちがそうでした)。

本を選ぶ時は、ほぼ「勘」です。本の内容やあらすじなどを見て、気に入ったものを選んでます。テーマが「食」や「職」のものが多いかな。テレビもそうなんですが、推理小説やミステリー系はちょっと苦手意識があります(大丈夫なものもあるけどね)。あと最近は、介護をテーマにしたものも見れなくなりました。

最近は世知辛い話題やニュースが多くて、テレビやネットを見ていると辛くなることが増えました。そんな時は、本で現実逃避しています。意識を本に集中させて、その世界にのめり込む。そうすると安心出来るのです。

本の世界は、私のようなおひとりさまにも優しいのです。こんな世界観の中で生きられたら、人もギスギスせずに優しくなりるのにな、と思わずにはいられません。

さっき、介護系の作品が見られなくなった、と書きましたが、私にとって本は非現実の世界にどっぷり浸る事。でも介護だとどうしても現実に向き合わなくてはいけないので、それが辛くなるんですよね。

いつもバッグに文庫本を入れています。最近は、会社の昼休みに読んだりしています。あと、医者などの待ち時間や手持ち無沙汰の時にも便利です。旅行に行く時は必ず最低2冊は持っていきます。その時は自分で購入してますね。最近、BOOKOFFなどの中古の本を扱っている店で安く買えるので、時々利用しています。

スマホも使うし、便利だけど、やはり紙の本のほうが落ち着きます。最近、美容院でタブレットで雑誌を読む所が増えてきたのですが、未だに慣れないし、目と肩が疲れます。美容院でファッション雑誌を読むの結構楽しみだったのになー。普段見ないジャンルの本を読めるからね。

今怖いのは、老眼により裸眼で本が読めなくなることです。有り難いことに、まだ何とか裸眼で本を読むことが出来てますが、年々見づらくなってる気がします。

これからも、読んだ本の中で、オススメのものがあったら、随時紹介したいと思っています。

ちなみに今読んでいるのは、諸田玲子さんの「お順」(上下巻)です。お順は、勝海舟の妹なのですが、父親、兄のように波乱に富んだ人生を送ったようです。上巻の真ん中あたりまで読みました。この先の展開が楽しみです。ちなみに積んだ本はこれで半分になります。最近、夜バレー🏐を見ているので、なかなか進みません。

読書の秋。布団にくるまって、本を読み耽るのもいいし、喫茶店などで静かに本を読むのもいいかもしれません。皆様も是非📕

 

 

 

 

 

新しいブログ始めました

こんにちは。和花と言います。はてなブログで幾つかの投稿をしていますが、どうやら私のブログはかなーり長い文章になりがちだと言う結論に達し(今更感あるけど)、ならば、もう長々と語ろうではないかと開設したのがこのブログです。

とにかく、長ーく語りたい時はここで思いの丈をぶちまけようと。あと、私自身がのそうなのですが、例えば朝の通勤前、昼休みの空いた時間、寝る前など、ちょこっと時間が空いた時などに、気軽に読める作品があると有り難いんですよね。ほんの暇つぶしに、お茶請けに、気まぐれに更新する予定なので、どうぞ宜しくお願い致します🙇

私には、ブログに投稿している内容を共有したり、話し合えるリアルな友人がいません。ずーっとそんな感じで来たので、おひとりさま歴はかなり長いです。もちろん、どこに行くにもほぼひとり。たまーに身内と連れ立って出掛ける事もありますが、年に数回程(両手で数えられる程)。それが寂しくない、と言えば否定出来ないけど、それでもたまに人と合うととても疲れますし、慣れればひとり行動は楽ちんです。

ただ、それを人には言いません。人には必要最低限の事しか言いません。なので人は、私のことをとても謎めいた人だと思っているようです。確かに。

他人を見て思うのは、何でそんなに人のことが気になるのか、と言う事。あと、自分の本位でないのに、人に合わせている人の、何と多い事か。悪く言えば、自分がない、と言うのか。

それでも時々、気分が弱っている時に外に出ると、連れ立って楽しげに喋っている人たちを見ると無性に羨ましくなってしまいます。ひとり蚊帳の外にいるような気がして。かと言って、いざそのようなシチュエーションになっても、自分も楽しげに話せる自信もないし。

人とのコミュニケーション能力は、かなり低いです。一応、勤め人なので、ゼロではないと思うけど、出来ることなら人と喋りたくない。と言うか何喋っていいのか分かりません。

嗜好や好きなものが、かなり偏っていて、なかなか周りに話の合う人がいないし、自分の好きなものが、受け入れられないのが不安だったりするのです。これまでほぼ受け入れられなかったので。同年代女性の嗜好とは、どこか少しズレています。そして自分はそれが好きなんだけど、自信が持てないのです。だからひとりで地味に楽しむしかないのです。そんな地味な楽しみの事などを、書いていきたいと思っています。

こんな私ですが、ちょっと珍獣の戯言だと思って、ブログを覗いて貰えれば嬉しいです。