昭和半ば生まれの私。昭和時代を学生で、平成から現代までを社会人として過ごした世代です。ドラマ「不適切にもほどがある」の純子ちゃんとほぼ同世代なので、あのドラマを見ていると本当に共感出来る事多いです。そして、あの頃は人も今ほどギスギスしていなくて、のんびりしていて良かったな、と思う一方、おひとりさまにとって今ほど生きやすい事はない、とも思ってみたり。昭和は結婚が当たり前で、しかもクリスマス(24〜25)すぎると売れ残りとまで言われて、とても肩身の狭い立場でありました。
①一番大きいのは、何でもダメダメと規制したり、少数でも否定意見があればそちらに足並みそろえないと物事が進まない閉塞的な現代より、昭和の細かい事は気にせずにとりあえずやってみる感からくる、未来への希望は大きな違いかなとおもいます。
②そして四季もなくなったけど、情緒もゆとりも余裕もメリハリもなくなったように感じます。
③今って一回失敗したら、もうコミュニティから外されますけど、昔は失敗しても、あの人はきっと分かる、って、何年も見守ってもらえましたよね。
④多様化などなくてもそれなりに受け入れられ、受け入れられようとする方にも知恵や工夫があった。
⑤個性尊重にすり替わったワガママがなく、みんなが少しずつ誰かに合わせようとする思いやりとゆとりがあった。
⑥今の日本ってギスギスしていて、謙虚で控えめだったり優しすぎたりするとこちらがやられる…
いやな世の中になったなと思います。
(以上、大手小町から一部抜粋)
そう、今って一見何の不自由もなさそうだけど、何か窮屈って言うか、融通が効かないと言うか、そんな感じですよね。
多分それは、ネットで誰もが好き勝手に言えるようになったから。言ったもの勝ちではないけど、言えば言うほど窮屈になってしまう、今の世の中。
でも、ネットは自ら規制することも出来るわけで、嫌なら繋がらなければいいのです。と言っても、なかなかそんな訳にはいきませんよね。
アラフィフおひとりさまの私は、本当にごく限られた人としかネットのやり取りをしていません。LINEは人とは繋いでないし(ガソリンとマッサージ店のみ)、未だにメールでやり取りしています。と言うかそんなに返信来ないですし。
やり取りが面倒臭いのもあるし、四六時中人と繫がるのって、監視されているみたいで落ち着きません。メール全盛の頃でも、一部のメル友がすぐに返事を催促して来て(平日の勤務中でも)ウザいと思ってたからね。LINEなんて尚更です。類友ではないけど、周りもラインしてない又は苦手な人多いし、今の所は不便はありません。何せ未だに文通でやり取りしてますからね。
昭和のほうが濃密な人間関係で、おひとりさまでいることは恥みたいな文化だったので、そう言う意味では今の方が断然生きやすいです。でも、対面のやり取りも時には必要だし、若い時にスマホがなくて良かったとは思います。コミュ障な私でも、曲がりなりにも友達いましたからね。きっと今だったら、友達出来なかったかも。
あと今って不登校でも許されている風潮あるじゃないですか。それも羨ましいです。私の頃は、何が何でも学校に行きなさいと言う時代でした。だからいじめられていた頃は学校が針の筵でしたね。
それに部活の時は水分摂取禁止でした。今ほど暑くないとは言え、真夏の体育館はかなり蒸し暑く、貧血で倒れる人がチラホラいました。今だったら間違いなく問題ですよね。部活もシゴキとか当たり前で、当時は辛かったけど、今思えばあれがあったから良かったのかも。少なくとも忍耐強くはなったと思います。
今って情報量とか、スマホのような機器は進化し続けているけど、人間そのものは退化していて、そのギャップが年々広がっているのかな、という気がします。政治家さんや古い企業の偉いさんたちって、未だに頭の中が昭和のままで、アップロードされていないじゃないですか。世の中の進化についていけず、曖昧に誤魔化そうとしている。だから世の中がおかしいことになっているのです。
一般人も、いわゆる肉体労働には就かず、パソコンで完結する仕事にばかり就くようになり、インフラや物流、運輸関連がうまく回らないようになっている。楽して得することばかり覚えて、苦労して物事を成し遂げる人が減ってきているのかな。
トラックやバスの運転手は減っているのに、物流量やインバウンドの観光客は増えていて、とても追いついていない、今の現状。なのに勤務時間ばかり減らそうとしているから、現場の疲弊感が半端ない。まずは物量を減らしたり、配達に余裕をもたせるなどしないといけないのに。
あと、今は多様性、例えば性別で差別してはいけない、と言われるようになりましたが、それでも性別による差別はなくならないし、と言うか区別しないといけない面も多く、なかなかうまくいかないのでしょうね。
例えば家事や育児は男女共にできるけど、妊娠や授乳は女性でないと出来ない訳で。だからどうしても女性の負担が大きくなる。それでも男女平等って言われるんですよね。その結果が男性にも育児休暇、なのですが、これが余計に女性の負担になっていると言うのですから。
確かに男性が家事や育児を担ってくれるのなら有り難いのですが、ほんの少し手助けするだけで、旦那の分の余計な家事負担(食事の世話とか)が増えて、結局何のメリットにもなってないと言います。
だから、ある程度の男女の区別は必要だと思います。この前別ブログに書いたけど、コンテナ運搬のタイミーに女性が応募してきて、使い物にならなかった件とかありますからね。求人も年齢性別の差別はいけないと言われているけど、結局選考時点でしているのですから、年齢は無理でもせめて、性別は区分して欲しいですね。
例えばバスやトラックドライバーとか重機の運転とか、本来男性の仕事分野に女性の進出が増えていますが、それは彼女たちがちゃんと戦力になっているのなら構わないのです。現にそういう逞しい女性が少なくないですし。それでも、男性向きなのは明らかで、力仕事なんかでは適わない部分もあると思うのですよ。ただ、細やかな気配りとか、男性にはない長所もあるので、それを生かせる環境がもっと増えるといいなと思います。現実はかなり大変でしょうけどね。あと、男性の看護師や保育士にも同じことが言えると思います。看護や介護は意外と体力が必要ですし、子供の世話には甚大なパワーが要ります。そういう時は、男性の方が向いているのかな、と思いますし。
あと、教師とか医師に対して、尊敬の念を抱かなくなってきてますよね。私の子供の頃は、お医者さんや学校の先生ってまだ威厳がありましたし、逆らう人は少なかったように思います。でも今ってどちらも立場が弱いです。医師はすぐに訴えられるし、教師も親や子供に舐められて、ウツを発症する人が増えているようですし。
クレーマーは昭和も令和も変わらずにいますが、質が変わってきているなという気はします。昭和のクレーマーは、陰気で粘着質なイメージで、特殊な感じでした。今は特殊さはなく、誰でも当たり前のように権利を主張する感じですね。だから理不尽なクレームが増えた気がするのです。
そして一番変わったのが、鬱になったり、いわゆる繊細で敏感になった人が物凄く増えたな、と。最近のニュースで、カンニングを咎められただけで自◯した報道がありましたが、どんだけ繊細なんだ、と。
さっき、部活のシゴキで忍耐強くなったと書いたけど、今の子たちって、良くも悪くも他人から叱られたりする経験がなく、打たれ弱いんですよね。部活も今は、ちょっとした事が問題になるので、厳しく出来なくなったようですし。でも、ある程度厳しく接する事は、この先生きていくために必要だと思うのです。度を超えたシゴキはもちろん駄目ですが、あれもダメこれもダメと何もかも抑制した結果、精神的に弱っちい子どもたちが増殖しているんですよね。
せめて親だったり祖父母だったり身内が、躾けたり厳しく接する事が出来ればいいのだけど、親は余裕がないし、祖父母は孫に嫌われたくない余り甘やかしてしまって、その結果忍耐力のないワガママな子がやはり増殖しています。休日のスーパーやショッピングモールなど、本当に多い。
もし今の日本で戦争が起こったとしたら、一体何人の人が戦力になるのか。精神面が脆く、自分と周りのことしか興味がなく、更に体力もない若者ばかりで、多分役に立たない人が大半だと思います。それは親世代も同じで、自衛隊や警察消防関連の仕事をしている人、更に学生時代に体育会系の部活で鍛えられた人以外は、ほとんど戦力にならないでしょう。
無駄な知識ばかり詰め込んで、理論や精神論は語れるけど、いざとなったら怖気ついて行動できない、そんな人で溢れているのが今の日本です。戦争、そんなの他人事じゃんって感じでしょうか。
それでも、まだ一部では何とかしなくてはと言う使命を持った人たちもいます。さっき書いた、自衛隊や警察消防関連の仕事をしている人、病院関係者、パイロットなど、人の命に直結した仕事をしている人が多くいます。あと、介護関連の仕事をしている人もそうですよね。
しかし、今の若者で、そのような仕事を希望している人は少なくなっているようです。医師ですら、訴訟の心配のない科には希望が殺到しているけど、外科や産科は少ないみたいですし。せめて、それらの仕事を希望する人が失望しないように、大切に育てて欲しいですね。彼らこそが将来の宝だと思うので。
私が実際に昭和が良かったと思うのは、新しく社会人になった時、育成システムが機能していたのです。きちんと一人前になるために、みっちり指導してもらったのですよね。確かに厳しかったし理不尽な思いもしたけど(何度陰で泣いたことか)、2〜3年経った時、あの頃があったから何とかなったと思いました。当時は時間をかけて厳しく育成された気がします(昭和後半から平成初期にかけて)。だから高卒でもそれなりに戦力になったし、周りもそんな感じでしたね。
今は企業に余裕がなく、育成システムがあるのはごく一部。しかも新卒の新入社員に対しても、一通りサラッと教えた後は、後は自分でやってと放置されるようです。新入社員だとまだ、分からない事があったら先輩方が親切に教えてくれる事もあるようですが、これが中途入社だと、それこそ説明が1日だけであとは放置、となります。それでもまだマシな方で、酷い時は、初日から普通に働く事を強要されたりします。当然右も左も分からない状況で、何をすればいいのか分からないのに。それで失敗したりしたら叱責される。そんなの、失敗して当然ですよね。
私はこれまで両手で足りない位の転職をしましたが、本当にほぼこんな感じでした。そんな感じなので当然脱落者も多く、どこも人の出入りが激しかったですね。それか、指導者が半端なく厳しく、ついていけなかったりとか、求めるものが大き過ぎるとか。育成を怠る会社ほど、何故かそういう傾向がありましたね。
今働いている会社は、本当に珍しく、入社時から1から親切丁寧に教えてくれました。たまたま入社時が、閑散期だった影響もあるのかもしれませんが、お陰でかなり助かりました。普通、パソコンの操作で覚えるのに1ヶ月余り掛かるなんて、あり得ない話なのに、社員さんには本当に感謝しています。
そうなんですよ、昭和だろうが令和だろうが、結局人次第なのです。人によって恵まれた人生を送るか、苦労ばかりの人生を送るか、自分の意志ではない所で決まってくる。今で言う「ガチャ」ですよね。そればかりとも言えないけど、周りの人に恵まれた人ほど、充実した人生を送っている気がします。
そしてそれは、きちんと対面で人と接する人ほど大きいと思います。少なくとも私の周りではそうですね。私はそれがうまく出来ないので、人には恵まれていません。まぁ自業自得ですけどね。人と触れ合う喜びよりも、面倒臭さの方が大きいですから。多分人と接するのが面倒くさくない、もしくは面倒臭さよりも人と触れ合う喜びが大きい人は、充実した人生を過ごしているような気がします。
令和の世は、対面でなくても人と触れ合う事が出来ます。楽な反面、人付き合いに物足りなさや不安を感じると思うのです。意外にも、今の若い人たちは思いの外、人との触れ合いを欲しているような気がして、少しホッとしています。
それはライブや舞台でもそう。ネット配信も悪くないし、とても有り難いけど(コロナ禍で良かったことの1つ)、やはり生の臨場感や感動には及びません。
あと、これは今年の元旦に地震に遭って分かったのですが、災害に遭って、人の温かさや人との直接の触れ合いって大切だなと。困った時、役に立つのはネットの情報や見せかけの善意ではなく、直接手を差し伸べたり、言葉をかけたりする事だな、と。
そう言う意味では、それがごく当たり前に出来ていた昭和は、良かったのかもしれません。今もそのような方々は多いと思いますが、その一方で、心無い無関係な方々が、誹謗中傷の言葉を吐いたりする事も後を絶ちませんからね。
物理的には令和の方が断然過ごしやすいけど、人付き合いや仕事なんかは昭和の方がしやすかったのかもしれません。あの牧歌的なほのぼのとした子供時代は、今思うと不便な事が多い反面、生きやすかった気がします。うつなんかも圧倒的に少なかったし、将来に夢や希望も持てましたからね。
それでも私たちは、令和の世を生きていかなくてはなりません。すでについていけなくなりつつありますが、うまく取捨選択して、いい所は取り入れて、そうでない所は切り捨てて、少しでも足手まといにならないようにしなくてはいけませんね。